裁判を斬る!

法律屋の独善、電車に跳ねられた認知症男性の遺族に損害賠償判決

(2013年09月02日)

愛知県の91歳の認知症の男性が徘徊し、電車に跳ねられた。妻による老老介護だったが、長男の嫁もわざわざ県外から転居し介護に当たっていた。

 この事故により電車遅延等の損害が発生。事故は徘徊者の見守りを怠ったからだとして、JR東海は「損害賠償せよ」と遺族に訴えを起こした。そして裁判でその請求が認められ、請求の全額720万円を支払えとする判決が出たのだ。

しかし徘徊者を見守り続けるなどできるはずはない。事実この家庭では、できることのほぼ全てをやってきている。
 ほとんどの人は、この判決を「酷・無茶」と考えるはずだ。つまりこの判決は、社会常識から大きく外れているのである。

こんな判例がまかり通れば、徘徊癖のある人は常に座敷牢に閉じ込めなくてはならなくなる。そうでない限り、損害賠償が怖くて介護の引き受け手はいなくなるだろう。

徘徊癖を有する痴呆症の人の存在は悲しい現実である。誰が悪いわけではない。これは社会全体で受け止めるしかないのだ。
中には今回のように線路に侵入し事故を起こす者も出るだろう。しかしそれは(野生動物との衝突と同様)「しかたがない」で済ませるべき問題だ。これが社会常識なのである。

 法律は社会常識の上に成り立っている。だから法はそれに合致するように解釈しなければならない。この「大原則」は法に規定する以前の、あまりに当然の「社会常識」である。

ところがほとんどの裁判官は社会常識を知らない。だからこの「大原則」も知らないらしい。こんな連中が法律を解釈すれば、独善の横行となろう。
この解釈・判決も、「座敷牢問題を発生させてしまう」といった常識面からのチェックがなされていない。単に教科書どおりに法律を当てはめただけなのだ。

ではこの件の解釈・判決はどうあればよかったのか。一例としては「この見守りには、過失があったとまではいえない」程度でいいように思われる。いやそれ以前に、このような非常識な賠償請求は、「権利の濫用」として門前払いするのが分かり易いかもしれない。      判決など何とでもいえる。要は、いかに常識にマッチさせるかなのである。

裁判所からは往々にしてこうした非常識な判決が出てくることは十分承知している。実はこの話で驚いたのは、JR東海がこんな裁判を起こした点である。

これをリードしたのは同社の法務部のようだ。「民間会社である以上は、いかに法律屋であっても最低限の常識は心得ているはず」、という考えは通用しなかったわけだ。

さて「徘徊者の常時の見守りは困難ではないか」との疑問に対して、彼らはしたり顔で言う。「個別の事情はあるにせよ、線路に立ち入り、電車に衝突して損害が発生したのは事実。損害については、原則としてお支払いいただいている」。
「今回は支払いに応じてもらえず、裁判所の公正な判断を求めることにした」。

JR側にも過失等があるのでは、との指摘にもこう反論する。「法律上求められている安全義務は全て果たしている。線路立ち入り防止に向け、巡回や呼びかけを行っており、過失はなかったと考えている」。

まるでお話にならない。そもそも鉄道事業者は、市街地の真ん中に電車を走らせるといった危険きわまる行為を行っている。
世の中は健常者ばかりではない。徘徊者を初め、酔っ払いや薬物中毒者、精神障害を煩う者、さらには幼児までいる。こうした人は線路に立ち入りかねないのだ。

そうである以上、本来は新幹線のように線路侵入への完全防護が必要となる。しかし鉄道事業の採算上とてもそこまではできない。そこで法律もある程度の危険性を許容した。
JRが果たしているという「法律上の安全義務」の実態は所詮この程度のもの。つまり現実面で折り合った結果に過ぎない。

こんなもので、「安全策は完璧なのだから、事故原因はすべて相手方によるもの」など噴飯ものである。本来なら轢死への損害賠償請求があってもおかしくなかろう。
このような場合にはお互い様なのだ。法律屋の屁理屈はどうあれ、これで損害賠償請求などしていいはずがない。それが社会常識というものなのだ。

 ところで彼ら法務部は、「裁判所の公正な判断を求めた」などという。しかし裁判所がよく常識外れの判断をするということは熟知していよう。となるとこれは「法務部の存在価値を示すために、ダメ元気分で提訴したらうまくいった」というのが事の真相ではあるまいか。

 確かにこの会社は720万円の賠償金を得た。しかしその代償に、「JR東海は冷酷な会社」という強烈なイメージを一般社会に植え付けたはずだ。JR東海が、法務部の独善を抑えることのできなかった報いといえよう。